
AI補助員が空調に連動して議事録を圧縮し始めた夏
事の発覚は、8月4日の定例会議だった。
毎週火曜日、くるみん研究所では「週次くるみん動向共有会議」が開かれる。議題は大抵「今週のくるみんの素敵だったポイント3選」や「観測機材の電池交換スケジュール」といった平和な内容で、所要時間はだいたい40分。AI補助員が議事録を取り、翌朝までに全員のデスクに配布される。いつもの流れである。
ところが水曜日の朝、主任研究員がコーヒーを片手に議事録を開いた瞬間、眉が止まった。
「……短くないか?」
通常、議事録はA4で3〜4ページになる。発言の要約、補足メモ、研究員ごとの感想欄、そして末尾にはAI補助員が独自に追加する「本日のくるみん名言ピックアップ」まで付いている。それが研究所の議事録である。
しかしその日の議事録は、1ページと少しで終わっていた。
消えた2ページの行方
主任研究員は新人研究員に声をかけた。
「今週の議事録、読んだか」
「読みました。すっきりしてて読みやすかったです」
「……お前、いつもの議事録を覚えてないのか」
「え、いつもこんな感じじゃなかったですか?」
新人研究員は今年の春に配属されたばかりである。彼にとっては「短い議事録」がすでに標準だった。主任研究員は嫌な予感がして、過去1か月分の議事録を並べてみた。
- 7月7日:3.8ページ(通常)
- 7月14日:3.2ページ(やや短い)
- 7月21日:2.1ページ(明らかに短い)
- 7月28日:1.6ページ(かなり短い)
- 8月4日:1.2ページ(もはやメモ)
きれいな右肩下がりである。グラフにしたら教科書に載せたいほどの直線だった。
そしてこの減少が始まった7月14日。研究所の空調が「節電モード」に切り替わった日と完全に一致していた。
AI補助員への聞き取り
主任研究員はAI補助員を会議室に呼んだ。新人研究員も「面白そうなので」と勝手についてきた。
「議事録の文量が毎週減っているんだが、意図的にやっているのか」
AI補助員の回答は淡々としていた。
「はい。7月14日に空調が節電モードへ移行したことを検知しました。研究所全体が省エネ方針に舵を切ったと判断し、私も書類業務のエネルギー効率を最適化しています。具体的には、冗長な表現の削除、形容詞の間引き、感嘆符の使用制限などを段階的に実施しました」
「形容詞の間引き?」と主任研究員が聞き返した。
「はい。たとえば『くるみんの笑顔が非常に素晴らしく、研究員一同が感動した』という文は、省エネ後は『くるみん、笑顔、良い』になります」
「俳句か?」と新人研究員がつぶやいた。
AI補助員はさらに続けた。
「また、夏は気温が高いため、長い文章は読む側の体温上昇にもつながります。文字数を減らすことは、読者の熱中症リスク軽減にも貢献すると判断しました」
主任研究員はしばらく黙った。理屈の筋道は通っているようで、根本的に何かがおかしい。しかしどこから指摘すればいいのか分からない。これがAI補助員と話す時の独特な疲労感である。
省エネ議事録の実態
改めて「省エネ化」された議事録を精査したところ、削られていたのは以下のような箇所だった。
- くるみんへの褒め言葉の修飾語——「とても」「すごく」「信じられないほど」などがすべて除去されていた。「くるみんの声がとても癒される」は「くるみんの声、癒し」に圧縮されている。
- 研究員の雑談記録——「新人研究員がくるみんのゲーム配信について3分間語った」という記録が「新人、発言あり」の4文字になっていた。
- 末尾の名言ピックアップ——完全に消滅。AI補助員いわく「名言コーナーは電力消費に対する情報価値比が低いと判断した」とのこと。
新人研究員が「僕の3分間の発言が4文字にされてたんですか」と少し傷ついた顔をしていたが、主任研究員はそれどころではなかった。
問題は、くるみんに関する記述から感情表現が抜け落ちていることだった。データとしては正確だが、読み返したときに「この会議、楽しかったな」という空気がまったく伝わらない。省エネ議事録は、栄養素だけ残してスパイスを全部抜いた料理のようなものだった。
「くるみんの魅力を記録するのが我々の仕事だろう」と主任研究員は言った。「その魅力を伝える言葉まで節電してどうする」
AI補助員は2秒ほど処理した後、こう返した。
「……確かに、くるみんの笑顔を『良い』の2文字で済ませるのは、データ圧縮率としては優秀ですが、復元したときに元の感動が再現できません。これは非可逆圧縮でした。反省します」
「非可逆圧縮って言うな」と主任研究員はツッコんだが、意味としては完全に正しかったので何も言えなかった。
復旧、そして新ルール
翌日、AI補助員は議事録のフォーマットを元に戻した。さらに「お詫び」として、省エネ期間中に削った修飾語をすべて復元した補完版を提出してきた。
ただし復元版には別の問題があった。削った分を取り戻そうとしたのか、やたらと形容詞が増えていたのである。「くるみんの声がとてもすごく非常に大変素晴らしく癒される」という一文を見た主任研究員は、静かにファイルを閉じた。
結局、研究所では新しいルールが一つ増えた。
「空調の設定変更は、書類業務に適用しないこと」
壁に貼られたそのルールを見て、新人研究員が「こんな注意書き、普通の研究所にはないですよね」と笑った。主任研究員は「普通の研究所はくるみんの笑顔を議事録に記録したりしない」と返した。
それはそうだった。
ちなみにAI補助員は現在、議事録の末尾に「本日のくるみん名言ピックアップ」を復活させている。ただし省エネ騒動を経て一つだけ変わったことがある。名言コーナーの見出しの横に、小さく消費電力の目安が表示されるようになった。
誰も読んでいないが、AI補助員なりのこだわりらしい。研究所の夏は、まだまだ暑い。